CALLING
夕日が眩しい、その時点で嘘だ。沈みゆく太陽がこれが最後とばかりに教室を照らしている。天香學園三年C組の教室だった。窓の外の木立や、黒板の周囲に貼られた掲示物でそれがわかる。あるいは、そう認識している。高校を卒業したのはもう三年も前だ。不真面目な学生だった皆守が掲示物など覚えているはずもない。それなのに、皆守はこの空間を懐かしんでいる。
皆守は学生服を着ていた。草臥れて捨ててしまったはずのTシャツと、ろくにクリーニングもしなかったせいでよれた学ラン。自分の姿が果たして三年前のものなのか自分ではわからないが、そんなことは問題ではない。
目の前には、自分のものだったはずの席に座って微笑む宝探し屋がいる。夕日を背に、だらしなく椅子に腰かけて足を組む葉佩は、皆守の姿を見ると気軽に片手をあげて挨拶をよこした。
過去にこんなことがあったはずはない。あの頃の学生が、放課後に校舎に居残るなんてことはできなかったはずだ。ほかの生徒が見当たらないのもおかしいし、皆守は自分がいつここにたどり着いたのかも覚えていない。
「で?」
「ああ、うん。こちらにございますのは眠るときに焚くと望む人と夢で逢えるというお香で」
葉佩は机の上に置かれた香炉を目で示した。小さな香炉で、ひどく錆びついている。色合いからすると青銅製に見えるが、専攻でもない分野のことだ、皆守にはどの時代の何ともわからない。香りも、するのだかしないのだか、すんと鼻を鳴らしても教室のチョークの匂いしかわからない。
「本当に会えるとは思わなかったな」
「ただの夢かもしれないだろ」
葉佩が皆守の席に陣取っているせいで、皆守の居場所がない。とりあえず隣の席の机に腰かけながら、皆守は流れるように胸ポケットを探った。記憶の通りにアロマパイプを見つけてそのまま銜えるのを葉佩が興味深そうに眺める。
「まだ吸ってるの?」
「――最近は吸わない。ただ、こんな突飛な話を聞くんだ。落ち着くくらいさせろよ」
「いいよ、別に」
カートリッジに火をつけ、一服する間に皆守はざっと葉佩を観察した。真新しい学ランを着崩さずに着込んでいるのは記憶通りだ。姿かたちも転校生として振舞っていたころのものに見えるが、結局皆守にわかりはしない。葉佩は「転校」して以降皆守たちの前に姿を見せたことはない。卒業式にも来なかった。
苦い記憶とともに煙を吸いこんでいると、こちらを見上げる葉佩と目が合った。葉佩は口元に微笑みを作りながらも面白がるような、挑むよう眼差しをしている。
「これだけ会話しておいて、ただの夢とか想像だって言うの?」
「このくらいの会話なら普通に思いつくだろう。これだけと言うほど喋ってもない」
「――なんか、あまりにも皆守らしくて逆に笑いたくなってきたな」
「そうかよ」
「俄然証明したくなってきた。何の話をすればいいかな」
皆守も、あまりに葉佩がかつての記憶通りに振舞うので、少しだけ愉快になってきた。アロマパイプを銜えたまま口の端を吊り上げる。
「そもそも無理な話じゃないか? 俺が覚えている話をしても、そりゃあ俺の夢なんだから当たり前だ。俺が知らなくて九ちゃんしか知らない話なら確かめようがない」
葉佩がぱちぱちと目を瞬かせる。
「皆守の?」
「は?」
「あ、そっか。皆守にとっては皆守の夢になるのか。おれにとってはおれの夢だけど」
「……やけにそれらしく振舞うな」
「だって本当だもん。このお香、一昨日遺跡で発掘したオーパーツでさ。ちゃんと時差も考えて寝たんだよ。もしかしたらそれらしい幻覚を見せるだけかもな、って疑ってたんだけど、この様子だと本物っぽくない?」
「そうだとしても、俺が同意してもしなくても怪しいだろ。大体、何で俺なんだ。もう三年は会ってない」
「うん……」
葉佩はちらりとこちらを見て、すぐに目をそらした。葉佩の横顔が夕焼けに照らされて頬の産毛が金色に輝くのをぼんやりと眺める。
「どっちにしろ皆守は否定するだろうけどさあ、高校の古文の授業、覚えてる?」
「どの授業だ。俺だって別に授業を出たのが一回きりってわけじゃないぜ」
「和歌の授業のとき、夢に見るのはどっちのせいか、って話をしただろ」
「……ああ、あったな」
「相手を想っているせいで夢にまで見たのか、もしくは夢に出てきた人が想って会いに来てくれたのか。この話をしても皆守は自分の記憶が作り出した夢だっていうんだろうけど。オーパーツの性質がわかって、チャンスだと思ったんだよな」
「何のだよ」
皆守は薄々察しながらもそう聞いた。葉佩が笑う。記憶通りの、不器用な息だけの笑い方だ。
「やっぱり、会いたくて夢路を通ってくるんだよ」
現実でも、夢でも会いに来てくれないなんて、古文の授業でそう嘆く和歌を知って、皆守は馬鹿馬鹿しいと言った。「夢のことなんて他人が責任を持てるか。本人が薄情なんだ」
夕薙はそれに「会えないことよりも情が感じられないのを責める歌だろう」と窘めて、八千穂が「でも、この考え方のほうが好きな人の夢を見たとき幸せな気持ちになれるよね」と明るく笑う。
「そういう考え方が勘違いする人間を生み出すんだ」
「でもさ」
「九ちゃんもかよ」
「想うだけで夢に出てくるなら毎晩だって夢を見るだろ」
そのあとは、皆守がムキになり始めた気配を察して話は流れていったはずだ。そこまで覚えていることに驚いて、皆守は言葉を失う。
「……夢に出るより早く、会いに来ればいいだろ。現代にはメールも電話もあるんだ」
葉佩は皆守が何度こんな夢を見たのか知らないのだ。飽きるほど見た、記憶の通りの葉佩の横顔に、皆守はうんざりしながらも決して飽きることがない。
「そう言われると辛いな。――ここからはまあ、おれの都合の話だから皆守に確かめようはないんだけど」
教室はいつまで経っても夕日に燃えている。皆守は、やはりこれは都合のいい夢ではないかという疑念を捨てられない。卒業式に来なかった、いつの間にかメールも電話も繋がらなくなっていた友人が、皆守の夢見たとおりに後悔を語る。
「卒業式の前日まで遺跡に潜ってたんだ。ぎりぎり間に合うかもしれないって遺跡から車を飛ばして、予定通り空港について、なんでか急に怖くなった。ここから先、おれがみんなに会うときは全部そうなんだって。おれがみんなに会うのを楽しみにして、無理くり都合をつけて、でも会えるのなんてせいぜい年に数回で。この先おれに友人ができる保証なんてどこにもないのにみんなの世界は広がっていって、みんなの中でおれが占める割合は減っていくばかりなんだって思うと、やめたほうがいい気がしてきた。それならいっときの幻みたいな、きらきらした記憶で終わろうかと思った」
葉佩の口の端が何かに耐えるように微かに震える。
「それでもやっぱり未練があった」
「……九ちゃん」
「どう? 想像を超える自分勝手だろ。想像通りでなくて悪いけど」
あれだけの感情を吐露しておきながら自嘲する葉佩は肝心なところで淡白だ。皆守がどれほどこうであればと祈ったのか知らないのだ。
皆守は奇妙に落ち着いた心で葉佩を見下ろす。何度も夢を見て、その度に落胆して、だから皆守は高校生の頃のくだらない主張でも翻すつもりはない。でも、会いに来たというのならその心に賭けてもいい。葉佩がかつての主張をここで証明してくれるというのなら。
「……これが本当に夢で逢えたって証明する方法ならちゃんとあるだろ」
皆守はとっくに不要になっていたアロマパイプをポケットに仕舞う。
「連絡先を教えろよ」
皆守は呻きながら携帯電話のアラームをとめた。平日の朝、薄いカーテンを透かして朝日が部屋に差し込んでいる。眩しさに目を細めたあと今日は一限目から大学の授業がある日だと思い出して、もう一度呻く。時差を考慮できるなら大学生のスケジュールにも配慮してほしかったと夢の中の人間に文句をつけて、そうして記憶に残る夢に飛び起きる。
「……夢と知りせば覚めざらましを」
それでも皆守は確かめるように携帯電話を握りしめて記憶したとおりの番号を押す。そうして長いコール音を聞いた。
「……もしもし」