I just want
「俺も触る」と言うので触らせている。ハンスはやけに真剣な顔で俺をベッドに押し倒すと俺の腹の上に座り込んだ。成人の男ひとりぶん、重たいのだがそれが嫌ではなく、俺はベッドに縫い留められたふりで体の力を抜いた。見上げるといつもとは違う角度の主人の顔がある。真摯な顔。暖炉の炎が彼の顔に複雑な陰影をつけ、ブロンドの髪がちらちらと光を反射している。それがどうにも美しく、俺は手を伸ばしたいのに伸ばせない。
「傷だらけだ」
ハンスは小さく呟くと俺の上腕をそっとなぞる。もう治ってしまって、ただ線になった傷に酷く痛ましそうな顔をするので俺は気まずく身じろいだ。
「もう治ってる」
「いつの傷だ?」
「覚えてない。ネバコフか、道ばたの盗賊か」
「くそっ、離れていた時間が多すぎるんだ」
それから労るようなキスが傷跡に降り注ぐ。
「トロスキーでのこと、本当に悪かったと思っている。俺がお前を置いていかなければ……」
俺は擽ったさに耐えながら、やっと降りてきたハンスの頭を撫でた。細い髪は柔らかく、するすると指の間からこぼれ落ちる。俺は何度も何度もそれを掬う。
「もう過ぎたことだ」
ハンスは小さくあちこちの肌に吸い付きながら、徐々に伸び上がって俺の顔に近づいてくる。俺はキスを待っていたのにやって来たのは右手の親指で、それが唇をなぜるので俺はそっと啄んでやった。
「髭が伸びたな」
「夜だから。延々と俺の見た目を記録し続けるつもりか? ハンス卿? このままだと俺は飽きて寝てしまう」
「それでもいい。お前がここに残るなら」
俺は一瞬驚いてその言葉を冗談にし損なった。そもそもハンスの声が真剣だった。ハンスはわがままで、奔放で、何より自由を愛していたが、同じだけ義務を知っている人間だと分かっていた。その彼がこう言う重さに、俺は彼の愛とこれからの自分の任務を思う。
「戻るって言っただろ」
分からせてやらないといけない。俺はその衝動で彼の首に腕をまわすと降りてきた顔に口づけた。彼のすべての呼吸を食べるようにして口を吸い、開いた口に舌をねじ込む。臆病な彼の舌を誘うように突いて舌同士を絡ませる。鼻で息をしても尚息苦しくなるようなキスを、息継ぎを交えながら繰り返す。
「触らないなら俺が触ってやる」
「いいや、俺が触る。たまには主人の言うことを聞いて大人しくしろ」
「……仰せのとおりに」
驚いたことに、ハンスの手は丁寧に俺を扱った。いや、もう驚くことではなかった。彼の愛情は痛いほど明らかだった。彼の手は熱く、興奮しているのがありありと分かる一方、彼の手つきは繊細で、同時に俺のすべてをなぞろうとする意欲に満ちていた。俺は恥ずかしさといたたまれなさでずっと彼の腕を掴んでいたが、彼は痣になってしまうだろうそれにも嬉しそうに笑うだけで、「もっと触って」と言うのだった。
「さっきは……触るなって言ったくせに」
「俺に主導権があればいいんだ。もっと強く、痕が残るくらいに。ヘンリー、もっと近づきたい……」
それは初めての体験だった。自分より背の高く体温の高い人間に、体のあちこちを触れられ包み込まれる体験。マレショフでもハグをしたが、それ以上に親密な愛情の交歓。
うとうとと眠たい体温を隣に感じながら、どうしてか俺は奇妙な犬に語った言葉を思い出す。クマン人と飲み交わした夜に見た夢。
「俺は、誰かに愛されたい……」
「何だ、足りないのか?」
ハンスの指がそっと俺の背中を撫でる。さっきまでの肌と肌を合わせるようなものとは違う、羽のような軽やかなタッチに擽ったくて身をよじった。
「違う。願いが叶ったんだ」
満たされて初めて自分が飢えていたのだと知る。酒に酔った幻にしか伝えていなかった本心に、どうしてか鼻の奥がつんと痛んだ。スカリッツが燃えて以来失っていた安らぎを、包囲戦の最中、こんな状況で見いだすなんて。
そして感じるのは愛したいという強烈な衝動だ。
「ハンス。ありがとう」
同じだけのものを返したい。そう思って覗き込んだ彼の瞳に、俺は自分の姿を見る。
「それは俺の台詞だ」
彼の足がとんと俺の足を蹴る。いつかとは違う親愛を多分に含んだ小さな蹴り。
「いいや、俺のだ」
俺は蹴り返して笑う。俺たちは一つの生き物なのだ、と思う。血液が巡るように愛情が二人を循環する。ハンスの語った二人の騎士に俺たちはなるのだ。