あったらいいのに

 一時期は実年齢より十は老けて見えた中年男性だというのに、眠る顔がどうにもあどけない。キムはゆっくりと腕を伸ばしてその頬を撫でた。親指でなぞる皮膚はかさついていて、時々髭がちくちくと指を刺す。そのちぐはぐさにキムはそっと微笑んだ。

 つい先ほどまで子どもではできないことをしていたというのに――しかし確かにその行為にも無垢による奔放さが見えないわけではなかったと、キムは振り返る。

 初対面の時から、不安と、向こう見ずな好奇心が見え隠れする男だった。世界に初めて触れた人間は、もしかしたら全員がこんな顔をするのかもしれない。それでも、確かにこの男本人に由来する純真さがあった。

 行為を終えて、弾む息でみんながこんなことしているのか――と呆然と呟いた様子を思えば、まったくいじらしく可愛らしい男だった。みんながこの行為を求めているわけではないし、行為に満足できるのは関係性や体調によるんだと教えはしたものの、確かにキムにとっても世界が変わるような体験ではあった。

 彼が口走った言葉とは違い、ここレヴァショールでの同性愛は禁止されているわけではないが公にされることも少ない、地下というよりも空気に紛れた概念だ。符牒のような探り合いもなしに関係が成り立ったことに、キムは本当に驚いている。

 ――けれど。

 何かの名残のような――「何」の名残かなんて本当は明らかだ――彼のダブルベッドの上で、キムは彼の頬を撫で続ける。

 またとない男だ。有り余る体力と、永遠に尽きることのない人と世界への好奇心。一見突飛な彼の直観を思えば、彼が一度は身を持ち崩したのも理解ができる。一度真っさらになってなお彼はあらゆることを悟り続けているし、どんなに愚かに見えようと自分が知りたいものに決して妥協をしない。人間缶切りとして、彼は人と世界の秘密を明らかにしてきた。キムは彼を心から尊敬していて――同時に憐れんでいる。

 彼に開けられない缶がただ一つ。それは愛情についてだとキムは確信している。

 永遠はない。キムはそれを信じることはできない。キムの今までの恋愛経験から、あるいは相棒と別れた経緯から、あるいは彼の経歴から、キムは永遠を否定する。「ずっと」はない。永遠に仲睦まじい関係はない。あったとしてもどちらかの死がそれを阻む。

 けれど彼はまだ、永遠が失われたことを嘆く最中にいる。

 これほどの年月を生きていながら、どうしてまだそれに傷つくような心が残っていたのだろう? あれほど悲観的な世界観を口走っていながら、どうして人の心だけは信じることができる? あるいはだからこそ人の心に永遠を求めてしまうのか――

 レヴァショールでは結婚なんてしない。彼の衛星警官の言う通り、恋愛や伴侶なんてものは人生のたった一部分だ。異性愛者と同性愛者で程度の差こそあれ、人々はそれどころではない世界に生きている。

 だからこんな関係になってもまだ、キムは彼の口からその言葉が出ないように祈っている。

 永遠なんてない。存在しないものに傷つかないでほしいと、キムは愛する人の頬を撫でる。彼の内側からそれが失われたときに、それを自然と受け止められますように。彼が傷つきませんように。仕事が、世界が二人を別つときに、彼がそれを呑み込めますように。それから――

 できるだけ長く、彼を愛することができますように。

 最後の願いに苦笑して、キムは彼の頬へそっと唇をあてた。