輪郭を溶かす
「なあ、」
喉の奥から押し出すように声を上げる。声は奇妙に震えて、吐き出した言葉の分、息が苦しい。ヴィータの体は不便だ。あらゆる動作や思考に制約がついて回る。メギド体ならこうはならない。それなのに、サタンが感じているのは紛れもない興奮と喜びだった。
ベルゼブフは穏やかにサタンを見つめている。その、目が。
「だから……つまり……」
「どうした?」
今度はきちんと息を吸い込んだ。言葉は疑問形で、けれど、確信があった。
「オマエ、いま『笑ってる』か?」
ぱちりと瞬くベルゼブフは、さっきまで緩やかに目を細め、そうして口角を上げていた。虚脱は一瞬で、ぎこちなく彼の表情筋が「笑み」を再現する。大袈裟なくらいの目元の皺と、ぎこちなく歪んだ口元。
「これが?」
「いや、もっとさりげなかった」
「難しいな」
もぞもぞと顔の筋肉を動かすベルゼブフにサタンは笑う。
「問題はそこじゃないだろ。つまり、オマエが『楽しい』かどうかだ」
「オマエと話すのはいつだって楽しいよ」
「ああ、言い方が悪かった。だから……わかるか? オマエが楽しいことが、俺に『わかる』んだ。言葉なしで」
目を丸くするベルゼブフが本当におかしい。サタンの口角も自然と持ち上がる。
「いま、驚いてる。あってるか?」
「あっている……もしかして、オマエも、楽しいか?」
「ああ、楽しいよ! 嬉しいのほうが近いかもしれない」
当たり前のように腕を伸ばしてお互いの頬に触れ合う。仄かに伝わる熱が心地いい。こんな、あるかないかも分からないような体温が。
「ヴィータ体にこんな利点があったとは」
ベルゼブフの目を覗き込むと、自然に彼の眉がほどけて目が細められる。恐らくは、喜びで。
「メギド体じゃあ感情なんてさっぱり分からなかった。これなら沢山、オマエのことが知れる」
「知りたいのか?」
「ベルは知りたくないのか?」
「いや」
ベルゼブフが首を振る。それを当然だと見守って、サタンは高揚する心のまま口走る。
「だって、オマエが楽しいと、俺も楽しいだろう? きっとそうだ」
ほかにどんな感情がわかるか試してみないか?
そう続けるはずだった言葉は、しかし突然の抱擁に阻まれた。ベルゼブフが、サタンを抱きしめている。冷えた体と、力強い腕に閉じ込められて、サタンは吐息のように問いかける。
「ベル?」
顔が見たい。いま俺たちに必要なのはそれなのに、ベルゼブフの腕に抱きしめられて身動きが取れない。彼が、分からない。
「――オマエを引きずり込む私を、許してくれ」
サタンはそろそろと腕を動かして、彼の背に回す。
「大丈夫。なにがあっても、許すよ」
――共感は、つまり自己と対象をひとつにすることだ。それは、メギドの「個」に対する重大な反逆でもある。
ベルゼブフの秘密は、まだサタンには明かされていない。