廊下を走るな
序
学生時代はなんだかんだと教師を値踏みしたものだった。授業がつまらない、話が長い、はたまた煙草臭いやら服がダサいやら。高校教師なんて大学へ行く傍らで教職課程を取ればなれるのだから楽なもんだと思ってみたりもした。まったくもってばかげた話である。皆守は自分が大学の夏休み、どれだけ早起きして授業に出て夜遅くまでレポートを書いたか、当時の自分に教えてやりたいと思う。
幾多もの覚えのある眼差しを見つめ返して、皆守は自己紹介をする。
「教育実習生の皆守甲太郎です」
1.真夜中のピアノ
皆守の紹介を含めた朝のホームルームが終わると、あっという間に生徒たちに取り囲まれた。口々に大学はどこだ学部は何だ歳はいくつだ部活動は何に入っていたと問いかけてくる。皆守の想定より好印象を抱かれているらしい。自分が学生のときはこんな風だっただろうか。考えて、そういえばここにはもう転校生も失踪者もいないのだと思い出した。天香學園はもはや平凡な全寮制の高校に過ぎない。そうなれば目新しいものに惹かれもするだろう。質問の勢いに一歩足を引きながら告げる。
「もう一時間目が始まるぞ。質問があるやつは放課後な」
生徒たちが悔しげに散っていく。皆守は教職課程を取りはしたが、まだ本腰を入れて教員を目指そうとはしていない。そもそも八千穂のように人間が好きというわけでもなければ、まともな高校生の振る舞いを知っているわけでもない。いきなり生徒に囲まれても対応が分からない。これで一過性の好奇心も過ぎ去って放っておいてくれるだろうと息を吐いた。
皆守が忘れていたことがあるとするなら、それでもわざわざ皆守に声をかけてくる生徒は人一倍懐っこく好奇心旺盛な生徒だということだ。
佐久間と名乗る男子生徒は言われた通りに放課後皆守を捕まえるとあれこれと話をしたがった。話はだんだんと細かいところに入り込み、脱線し、學園のどうでもいい噂話まで紹介し始める。いい加減解放してくれと言おうとしたところで話が思わぬところへ転がった。
「先生はここの卒業生なんですよね。七不思議って当時もありました? 音楽室のピアノのはなしとか」
「それはもう解決しただろう」
思わず皆守が言うと佐久間はきょとんとした顔をする。音楽室の怪は皆守の代の七不思議だ。覚えているのはそれが皆守にとっても特別な思い出だから。事件現場に居合わせ、葉佩や八千穂と口論し、葛藤しながら探索に同行する。そして取手は解放された。そのときの驚きと怯えと期待が入り混じった感情を忘れられるはずもない。
「……そもそも、どういう噂だ?」
「真夜中、音楽室のピアノが勝手に鳴ってるってはなしです。手を怪我してピアノが弾けなくなったことを悲しんで自殺した幽霊が弾いてるんだとか」
皆守は顔を顰めた。噂というものは思いのほか根深いものらしい。無性にアロマが吸いたい。そう思いながら淡々と告げる。
「嘘だぜそれは」
「嘘ですか?」
「俺たちの代にも同じ噂があったがな、その生徒の死因は病気だ。未練を残すような人じゃない」
「もしかして、知り合いですか?」
皆守はほんの少し躊躇う。友人の大切な人だ。それでも、これで噂が消えるならと事実を告げた。
「……友人の姉だ」
佐久間が神妙な顔をして頷くので、その甲斐はあったらしい。
「でも、」
「でも?」
「音楽室の物が毎日動かされているんだとか」
それとピアノの音は関係がないだろう。そもそも真夜中のピアノを聞いたのは誰だ。皆守が指摘すると佐久間は確かに、と驚いた顔をした。どうも他人の話を鵜呑みにしやすい性質らしい。
「放課後は吹奏楽部か何かが音楽室を使うんじゃないか? 物くらい動くだろう」
「その吹部のやつらが言うんです」
どうもただの出鱈目という訳ではないらしい。発端はその部員たちの話なのだろう。そこにもっともらしい根拠としてかつての音楽室の怪が掘り起こされたようだ。
皆守は悩んだ。噂だから放っておいてもいい。いいが、面識がないとはいえ友人の関係者が噂の対象なのは居心地が悪いし、生徒会役員としての経験が真相を確かめておいた方がいいと騒ぐ。
「……見張るか」
呟きを拾った佐久間が目を輝かせた。
皆守は一度帰宅して泊まりの準備を整えた上で天香學園の音楽準備室を訪ねた。皆守はどこかの宝探し屋と違って便利な通販の伝手もなければ四次元収納ポケットを持っているわけでもない。
かつては出られないと思っていた學園に再び飛び込んだことに不思議な感慨を抱きながら準備室のソファに毛布を敷く。ちなみに教師陣には無断である。元生徒会役員の規範意識などこの程度だ。
ソファのクッションは草臥れていて、明日の腰痛を予感しながら皆守は横になった。
そして音が聞こえてきた。横になった姿勢のまま、準備室の天井を眺めて皆守は細く息を吐く。噂が半ば真実だったと驚けばいいのか呆れればいいのか分からない。
ピアノの音ではなかった。音楽に疎い皆守でもそれくらいは分かる。聞こえてくるのは軽快なロックだ。ベースだかギターだかの音がする。幽霊の演奏ではないだろう。幽霊が複数いたという話もバンドを組んだという話も聞かない。
よっこいと体を起こして音楽室に通じるドアを開けると「うおっ」と野太い声が聞こえた。音が止まる。男子が二人、女子が二人、固まってこちらを見ている。
「誰だ?」
皆守は自宅から持ってきたスウェットを着ておりどう見ても教育実習生の姿ではなかったが、話し方で生徒でないのが分かったのだろう。「時田です」と敬語で返事が返って来た。
「第二軽音部の」
「だいにけいおんぶ」
名乗った女子が頷く。
「軽音部から分派したんです。音楽性の違いで」
「……そうか」
そうかとしか言いようがないが、問うたのは皆守だ。
「それで、何をしてるんだ?」
時田は後ろめたさを欠片も見せずに答えた。
「朝練です」
「あされん」
先ほどから鸚鵡返ししかしていない。皆守は壁に掛かった時計を眠たい目で睨んだ。朝の五時。
皆守は帰宅部で、重役出勤の常習犯だった。朝練が何時から始まるか知っているわけではないが、少なくとも五時ではないだろう。外はまだ暗い。五時は夜とは言えずとも、一般的な朝とも言えまい。
「……鍵はどうした?」
そこでようやく時田がためらいを見せた。
「先生に借りてます」
おずおずと挙げられた名前に皆守はため息を吐いた。皆守の在学時代からいる、いい加減なことで有名な教師だ。彼女たちもそれに付け入ったのだろう。皆守が授業に出ずとも出席扱いにしてくれるので助かっていたが、今になって足元を掬われるとは。
「そもそも。どうしてこんな時間に朝練なんだ?」
「私たち、部室がないので」
創部半年の新しい部だ。実績もない。音楽室は他の部が使っているので借りられないが、軽音部とあって部活動にはそれなりの環境が必要になる。そこで思いついたのがこの「朝練」らしかった。
「……今日は見逃すから、朝練の定義について生徒会と話し合え。部室の使い方も」
それが生徒会の本来の役割だろう。働け、と顔も知らない後輩に思う。
時田が頷いたのを確認して皆守は準備室に戻った。とにかく眠かった。昔は葉佩の探索に付き合いもしたし役員として墓を見張ることもあったのだが、高校を卒業して以来どうにも夜に弱くなっていた。
***
「なんだ。つまんないですね」
まともな朝になってから真相を知らせた佐久間は、言ってしまってからしまったというように皆守を見た。皆守は佐久間を小突くふりをして許してやる。
「つまらないのが一番だろ」
「じゃあ先生、」
「ん?」
「他の七不思議も調べてみましょうよ!」
「はあ?」
「目指せ!怪談解体!」
期待の目が皆守を見ていた。
2.闇の管理人
「墓地には闇の管理人がいて、」
佐久間がこう言い出した時点で皆守はおいおいと思った。闇の管理人とは何だ。光の管理人がいるのか。カードゲームじゃないんだぞ。そもそも皆守たちの代で墓地の管理人はその任を解かれている。正体も正体だったことだし、口頭のやりとりであっさりと決まったはずだ。いや、だから闇なのか。
「夜な夜な墓地に埋まった遺体から精気を吸い取っているんだそうです」
皆守はアロマパイプから口を離した。結局実習先に持ち込んでしまった。注意されたとて知ったことかとラベンダーの香りを吸い込む。
「死人に精気があるものか。そもそも日本は火葬だろう」
佐久間がアッと声を上げた。こいつは馬鹿だ。馬鹿でなくとも抜けている。
皆守たちはかつてその「闇の管理人」だかと同じことをしていた。しかも生者を利用して。しかし、だからこそぎりぎりの淵で助かった人間も多くいた。
その話がどこかから漏れたのだろうか。それにしては妙にあやふやで意味が通らない。内心首を傾げる皆守に佐久間は声を潜めた。
「これは内緒なんですけど、墓地で肝試しをしたやつがいたらしいんですよ」
「ふん」
《掟》がなくなった途端これである。高校生の馬鹿さ具合にため息が出そうだ。自分も数年前まで高校生だったことを棚に上げて皆守は鼻を鳴らした。
「そしたら墓地に人影がいて、墓を一つ一つ検めていたんだそうです。『ここじゃない。これでもない』」ってぶつぶつ呟きながら」
「どうもお前らは創作が下手だな」
皆守なら死人に未練を残した幽霊が墓と添い遂げようとしているとでも話を作るだろう。間違っても「闇の管理人」などという名前は出さない。言うと佐久間は「じゃあそれで行きましょう」と張り合いがない。
「先生見張ってくださいよ」
「何で俺が」
「でも、気になるでしょう? 俺が見張ってもいいんですけど、先生怒りそうだし」
「だからって」
「真相楽しみにしてますね!」
かつての誰かを思い出す押しの強さだった。
皆守はケヤキの木の根元に座りこんで墓地を眺めていた。夜の九時過ぎのことだ。自分は教育実習に来たはずだったがどうしてこんな目に遭っているのか。これが因果というものか。アロマを吸いたいが誰かに見つかったらと思うとそれも出来ず、苛々と髪を弄る。
しばらくして、皆守の目は暗闇に人影を捉えた。まだ相手は気づかないだろう距離で、皆守は木の幹に体を隠すとそっと人影の様子を窺う。
生徒ではない、と思う。来た方角が違う。人影は敷地の端のほうから来た。では侵入者か。かつてもいなかったわけではないが――
人影は中腰で墓石を覗き込んでいる。肝試しで見たという人物に間違いないだろう。集中しているのか、こちらに気づく様子はない。好機だ。皆守は木の影から飛び出すと全速力で走りだした。物音に、墓石を探っていた人影が顔を上げる。慌てて逃げ出すその背中に、皆守は跳び蹴りをお見舞いした。
もんどり打って倒れた相手の片腕を背中に捻り上げて皆守は冷たい声を出した。
「何が目的だ」
「痛い!」
「何が目的だと聞いているんだよ」
「痛いって! 話す! 話すから!」
皆守はほんの少しだけ腕の捻りを緩めた。代わりに倒れ込んだ背中に膝を押しつける。
「ほら、話せ」
「俺はトレジャーハンターなんだ!」
「はあ!?」
侵入者の主張に大声が出た。思わず膝が背中に食い込んで、侵入者が悲鳴を上げた。
侵入者はヒゲの生えた男だった。誰かを思い出させる革ジャケットまで着込んでいる。
息も絶え絶えの男が言うに、噂を聞いたらしかった。この學園の墓地にはオタカラが眠っている――それを聞きつけて一獲千金とやって来て皆守に見つかったらしい。
皆守は何と言うか悩んで、「あのな、」と切り出した。
「あんた騙されてるんだよ」
「ふん。みんなそう言うんだ! 俺からオタカラを奪おうったってそうはいかないぞ!」
どうにも調子が狂う返答である。皆守はアプローチを変えることにする。
「考えてもみろ。なんでそんな噂が流れると思う?」
「――ん? なんでだ?」
侵入者は首を捻る。こいつは馬鹿だ。察した皆守は彼を丸め込もうと少しだけ声の調子を和らげた。
「もうそのオタカラを見つけたやつがいるからだよ」
「騙されないぞ!」
「だってあんた、その噂のこと別の誰かに話したか?」
「話さない! 独り占めするからな!」
「だろう? じゃあ話すとしたらいつだ?」
「そりゃあオタカラを見つけ終わった……とき……だな?」
「と言うわけだ」
「わけか」
男がこちらを見上げてくるのに重々しく頷いてみせる。男はがくりと項垂れた。
皆守は男を放免してやることにした。かつてだったらこんな間抜けでも墓に埋めていただろうが、今は違う。
「今度噂を聞いたらちゃんと訂正しておけよ。墓の下には何もないって」
言い含めた上で放り出して、侵入経路だというフェンスを確認する。車がぶつかりでもしたのかフェンスが大きくたわんでいて、さぞ登りやすかったろうと思う。修繕の手配が必要だろうが、担当は一体誰だろう。二週間足らずしか滞在しない教育実習生の言うことを聞いてもらえるだろうか。
皆守は欠伸をかみ殺す。二晩続けての夜更かしである。もう荷物を持ち込んで阿門邸に泊めてもらおうか。考えながら墓地を後にした。
***
「石マニアの不審者ぁ?」
佐久間の声に、皆守は流石にこの理由は通じないかと冷や汗をかいた。まさか素直に宝探し屋かぶれが秘宝を探しに来たとも言えまい。
「いるだろう。石研とかに」
脳裏に石を舐める同級生を思い浮かべながら遺跡研究会に言及すると、佐久間はあっさりと頷いた。
「ああ、いますね」
こいつらの代にもいるのか。作り話が通じたことに安堵すればいいのか、學園に連綿と続く石研の伝統に怯えればいいのか。「まあ、そういうわけだ」と畳みかける。佐久間は唇を尖らせた。
「やっぱり、不思議なことなんて早々転がってないもんですね」
非日常を夢見る佐久間の瞳に皆守は目を眇めた。
「さてどうだかな」
3.講堂の幽霊
「七不思議を解決して回ってる教育実習の先生って……皆守先生ですか?」
放課後、小声の挨拶で職員室に入り込んだ生徒は皆守を見つけるとこそこそと近づいた上でこう聞いてきた。皆守はため息をぐっと飲み込むと教材研究の手を止めて生徒に向かい合う。誰がなんと言おうと今の皆守は権力を持つ側で『先生』だ。いざ自分がこの立場に立つと小さなことにまで神経を使うことに気づき雛川やあの教師への尊敬の念が絶えない。
問いかけてきたのは背の高い女生徒だ。髪は短く、一見するとバレーか何かのスポーツをしているように見える。皆守に面識はない。質問の仕方からしても皆守がついているクラスの生徒ではないだろう。
「『して回っている』訳ではないが、そうだな。……どうしたんだ」
聞くと相談があるという。皆守は渋い顔をした。生徒の相談に乗るのは教師の務めだろうが、皆守はただの教育実習生だ。ただでさえ何かを勘違いした生徒にお祓いの依頼だとかホラー映画鑑賞の誘いだとかを受けて辟易しているのだ。その類いなら遠慮願いたい。相談なら担任なり何なりにした方がいい。
そう伝えても生徒が引き下がらないので、皆守は諦めて職員室の片隅、ソファの置かれた休憩コーナーに生徒を案内した。ここは昼休みや放課後に数人の教師が弁当を食べる以外で使われることがない。人の目があることと静かに話をすることを両立させるならここだろうという判断だ。
生徒をソファに座らせると、皆守は近くの机から椅子を引っ張ってきて生徒の斜め向かいに腰掛けた。生徒はソファに座りながらも寛ぐ様子はなく、両手はぎゅっとスカートの端を握りしめている。
「先生は七不思議の三番目、もう聞いてますか?」
「いや」
首を振ると生徒は奇妙な顔をした。安堵と緊張の入り交じった顔だ。
「それ、私なんです」
「それ?」
生徒はぐっと唇を引き結ぶと勢いよく顔を上げた。泣き出す寸前、潤んだ瞳が皆守を見る。
「七不思議の三番目、私なんです」
生徒の名前は黒川と言った。三年A組で、芸大進学を目指す美術部員だという。皆守の見立ては外れたことになる。
「三番目は……講堂の倉庫に幽霊が出るって話で、」
そこで黒川は一呼吸置いた。皆守は内心ありきたりじゃないかと感じるのを表に出さないように努める。
「私のせいなんです。私の描いた絵が本当になったんです」
「本当になった」
「はい」
黒川は生真面目に頷いた。
「例えば……幽霊を描いたら幽霊が出てくる?」
そういうフィクションがありそうだ。
「ええと、そういうのじゃなくて……」
幻覚、だと思うんですけど、でもみんなが見てて。
本人にもよく分からないらしい。どういうことだ? と首を傾げながら何度か質問を重ねて、皆守もようやく概要を理解した。
きっかけは黒川の描いた、演劇部のための背景画だという。現実とファンタジーの入り交じる劇のための、夜空をテーマにした抽象画だ。
「大きなベニヤ板に描くんです。完成して、講堂のステージ裏に仕舞ったんですけど、」
するとそれ以来、そこは「夜」になった。倉庫には小窓がついているが、いつ見てもそれは夜なのだという。見えていたはずの青空も太陽も見えなくなって、小窓から外を覗くと東京では見えるはずのない満天の星が広がる幻想的な夜空が見える。
「誰が見てもそうなんです。教えてくれたのは同学年の演劇部員で、今は窓に布を張って目隠しして誤魔化しているんですけど、いつの間にか噂が広がって幽霊の仕業になっちゃって」
そこで黒川の目から涙がぽろりと落ちた。無理もない、と皆守は思う。《掟》がなかろうと全寮制の窮屈な學園には変わりない。人間関係は狭い上に噂が広まるのは早い。噂の発端というだけでストレスだろうし、その上に噂の中身は本人にも理解できない不可思議な事象だ。
さてどうするか、と皆守は考える。皆守は《力》を持つ元墓守だが、霊だか氣だかの不可思議な事象を見分けられるわけではない。今まで七不思議を「解決」してきたのだって、それが現実に、皆守に説明できるものだったからだ。しかしこれは――
皆守は怖がらせないように声を作った。
「解決するアテがある。人をひとり、呼んでもいいか?」
幸いなことに阿門邸は學園の敷地内にあり、阿門自身も家にいた。話を通して十分ほどで職員室に阿門が姿を見せる。
「んん……?」
黒川は阿門の姿に見覚えがあるのか目を丸くして唸ったが――絵の心得があるのならきっと観察眼もあり、理事として式に顔を出す阿門を覚えているのだろう――皆守の紹介に何も言わずぺこりと頭を下げた。
当の阿門は黒川を一瞥して事もなげに言う。
「《力》の持ち主だな」
やはりそうらしい。皆守の在学中にもそういう後輩が一人いたはずだ。
「生徒が見たのは幻覚だろう。おそらく、倉庫に入ってすぐ、目につくところに絵が置いてある。違うか?」
「合ってます」
「一瞬でも、絵が視界に映る。《力》の籠もった絵だ。夜だ、と頭がそう判断する。そうすると思考はもう塗り替えられない。だから夜の幻を見る」
「そんなこと――あるんですか? 私の絵で?」
顔を向けられたのは皆守だったので、静かに頷いてみせる。
「ある」
そうとしか言い様がない。遺跡が眠りについて尚このような人間が入学してくるのは何かの縁があるのかそれともただの偶然か。とにかく彼女にとっては幸運だろう。
冗談の気配のない大人二人に、彼女は静かに考え込んだ。
「それじゃあ、絵を隠せば解決ですか?」
どうやら受け入れたらしい問いに、阿門が首を振る。
「今後描く絵で同じことが起こらないとも限らない。《力》が暴走しないよう調整しよう」
ぱちり。黒川が瞬きをする。瞳はもう乾いている。
「その……《力》?を、なくすこともできますか?」
「できるが……《力》があれば助かることもあるだろう。絵の道に進むというなら、なおさら」
「いえ、なくしてほしいです」
きっぱりとした声だった。
「私は、私で勝負したいんです」
阿門はほんの少し眉を下げた。「自分」の定義は難しい。やりとりを端で聞いていた皆守は思う。与えられた《力》は皆守に馴染んでそうでなかった頃を思い出せない。《力》の有る無しに言及せずとも、昨日の自分と今日の自分も連続しながら同じとは言い難い。彼女が拘る「私」が本当の「私」とも限らない。
「今は暴走しているだけで、おそらくは生まれたときからある《力》だ。なくしてもいいと?」
「いいです」
それでも、その決断は本人のものだ。どれほど未熟で青臭く見えようと、本人にはそれに至る思考がある。
「好きにさせたらどうだ?」
「皆守」
「夷澤を見ろよ。《力》なんて使わなくともボクシング学生チャンピオンだぜ?」
何より、葉佩がいる。《力》に驕っていた二人はもうおらず、人間に可能性を見ることができる。
そもそも、阿門と皆守だ。生まれ直したように人生を歩む二人が反対することではないだろう。
「……分かった」
阿門は頷き、黒川は微笑んだ。
問題の絵は、しばらく布を被せた上で、《力》の抜けた黒川が加筆をするという。そうすれば幻覚も見なくなるだろうというのが阿門の見立てだ。噂の後始末をどうしてほしいか黒川に尋ねると、「放っておけばそのうち立ち消えになるでしょう」と気楽な様子だ。これが本来の彼女の性格なのだろう。そう言われたので皆守も噂を放っておくことにする。これで皆守の元に来る厄介事も減ってほしい。そう思っていたのだが、翌日佐久間に興奮した様子で話しかけられて、皆守はそれが希望的観測だったと悟った。
「皆守先生! 先生は未来が予知できるって本当ですか!? サッカーでキーパーやると防御率100%だとか!」
「……どうしてそうなる」
疲れた顔の皆守を佐久間がきらきらした目で見つめていた。
幕間 青春の置き土産
「そもそもだ」
皆守は頭を掻きながら佐久間に尋ねた。この数日でどっと疲れた。このままでは心労でハゲるのも時間の問題だと思う。
「噂話なんてここには腐るほどあるだろう。誰かが意図を持って七不思議なんて名前をつけた。そいつはどこにいるんだ? 探して締め上げてやる」
「締め上げる」は教師として言っていい言葉だったか? 皆守はしまったと思うが率直な気持ちを言うなら「締め上げてこの話を終わりにしたい」である。
しかし皆守の心情も知らずに佐久間は笑うばかりだ。
「探すも何も、誰が言い出したかは分かってますよ。賢木です」
「はあ?」
皆守はあんぐりと口を開けた。今まで佐久間が話題を持ってくるのを待っていたのは何だったのか。いや、よく考えれば佐久間である。本人には悪いがかつての八千穂を思わせる言動を見れば彼がただのお人好しで好奇心旺盛なだけの一般生徒だとすぐにわかったはずだ。こいつは「窓口」であって「問題」ではない。
「先生の言うとおり、へんな噂は沢山あるんですよ。だから賢木に『本物』らしい噂を訊いたら、それが七不思議として定着したんです」
「じゃあそいつに話を聞こう。どこにいる?」
「図書室だと思いますよ。あいつ、本の虫なんで」
佐久間が八千穂に似ているというなら、賢木は七瀬に似ているらしかった。
佐久間の言うとおり図書室にいた賢木はあっけらかんと事実を認めた。
「そうです。俺が七不思議を編纂しました」
編纂をするな。そもそも学校の噂話はそんな風に取りまとめる対象ではないだろう。言いたいのだが言葉が出ない。口をはくはくさせる皆守に気づくことなく賢木はかつての七瀬のように図書室の貸し出しカウンターをごそごそと漁る。そして分厚いノートを取り出した。
「この學園の噂ですか? 七不思議以外にも沢山あって……」
垣間見えたノートにはびっしりと細かい字が連なっている。
「ええと、『決闘する鎧武者』、『石研に眠る隕石』、『増殖する黒板消し』……」
「黒板消し?」
嫌な予感がする。思わず問うと賢木はぱらぱらとノートを捲った。
「この學園の黒板消しには付喪神が憑いていて、それが夜な夜な宴会をしているって話です。そのせいで黒板消しが夜中に姿を消したり移動したり増殖したりするっていう」
「九ちゃん……」
皆守は思わず髪を掻きむしり天を仰いだ。この噂話は絶対に葉佩のせいだ。当時は備品泥棒がいると言う不思議も何もない噂だったのだ(そして実際にいた。葉佩だ)。ところが葉佩が去っていくとき、彼は利息をつけて備品を返却した。黒板消し、バスケットボール、カーテンからパイプ椅子に至るまで、持ち去られた以上の数が返って来たのだ。運動部のいくらかは新品のボールだバットだと浮かれていたが、その話が後世に伝わったのならこうなりもするだろう。
「九ちゃん?」
賢木がきょとんとした顔をするのにおざなりに手を振る。
「何でもない。続けてくれ」
「それから、『石研に眠る隕石』は、何代か前の石研の部長が未知の隕石を手に入れたって話ですね。どんな真夏日でもひんやりしている石で、NASAが狙っているとか何とか……」
「黒塚……」
葉佩が手に入れて黒塚に譲り渡した何らかのオーパーツだ。間違いなく。当時の學園のでたらめ具合に涙が出そうだ。
「皆守先生?」
「賢木」
「はい」
図書委員の男子生徒はぱちりと瞬いて皆守の言葉を待つ。こういうとき、皆守は自分が年長者になったことを感じてしんみりする。
「お前の見る目は正しい」
「はあ」
よくぞこの無茶苦茶な噂話からまともな謎を嗅ぎ分けたものだ。呆れはどこかへ吹き飛んで、畏怖のような気持ちすら湧いてきた。
4.守護霊の鏡
ばたばたと、廊下を生徒が走っている。注意しようと口を開いたところでその生徒と目が合った。
「みなてぃー! 丁度いいところに!」
女子生徒は急ブレーキをかけると大きく手を振った。手招きのつもりらしい。
「みなてぃー?」
「皆守ティーチャー! 早く早く!」
なぜ英語なんだ。問いかけることもできないまま、皆守は生徒の勢いにつられるようについて歩く。
「七不思議の四番目! 見つけたんですよ!」
「四番目?」
「『守護霊の鏡』! 學園のどこかに自分の守護霊が映る鏡があるんです!」
階段をどたばた下りながら生徒は言う。ついて行った先の廊下には生徒が数人塊になっていた。近くのドアをよく見ると校長室とある。普段生徒は近づかない場所だ。
「今日の掃除のときに見つけたんです」
集まっていた生徒の一人が皆守に気付いて場所を空けた。
ポニーテールの女子が古びた鏡を持っている。古びている、というよりも銅鏡のような、そもそもあるはずの年代が違う鏡だ。その女子を取り囲むようにした生徒が口々に「どう?」「見える?」と問いかける。
「先生が七不思議集めてるって言うから」
「集めてない。誰の噂だそれは――」
反論しようとしたところで鏡を持った女子が首を振って「見えない」と言う。
「先生見えますか?」
差し出されたそれを思わず覗き込む。
ふわり、とラベンダーが香った。皆守のアロマではない。もっと軽やかで清純な、記憶の奥底にある香り。曇ってほとんど姿が映らない鏡の中で、長い髪がさらと揺れる。
「は……?」
先生だ。
呆然とする皆守に、先ほどと同じように生徒たちが「見えました?」と聞いてくる。
「いや……」
何とか言葉を捻り出すと「なーんだ」と鏡が別の方向へ向けられてしまう。あっ、と思ってももう遅かった。鏡は別の生徒の手に渡り、また生徒たちが「どう?」「どう?」と口にする。
「これじゃないのかなあ?」
がっかりした声に我に帰って、するべきことを思い出した。
「その鏡、回収するぞ」
「ええー!」
「たぶん理事長のだ。そうでなくとも学校にあるはずの物じゃないだろう。理事に聞いてみる」
しぶしぶ差し出された鏡を手に取る。鏡はひんやりと冷たく、ずっしりと重い。
もうラベンダーの香りはしなかった。
***
あの鏡が映したものが本物だとして。
帰宅ラッシュの電車に揺られながら、皆守は心ここにあらずだった。
あの鏡が映したものが本物だとしても 、それが守護霊とは限らないだろう。
鏡は阿門に手渡した。そこからロゼッタ協会に渡りをつけるのか、あるいは白岐や神鳳に何かを尋ねるのか、もっと専門的な何かを頼るのか、皆守は聞いていない。鏡の正体は不明なままだ。
例えば未練を残した幽霊を見たのかもしれないし、記憶の中の後悔を見たのかもしれない。可能性はいくらでも考えられる。
一体誰があれを「守護霊の鏡」と呼び始めたのか。その誰かはそう呼ぶに足る何かを見たのか。考えても答えは出ない。
がたん。電車が揺れる。ワイシャツとネクタイが無性に息苦しい。皆守を乗せた電車は學園から遠ざかり続ける。
5.いない生徒
「皆守くん」
かけられた声に背筋が伸びた。
「あっ、もう皆守先生よね。ごめんなさい」
「雛川先生」
振り返ると雛川がにこにこ顔で立っている。実習初日に挨拶はしたが、担当する学年が違うこともあってそれ以降はすれ違うくらいしかしていない。雛川は皆守の担任だった頃の柔らかい雰囲気はそのままに、どこか落ち着きと余裕が感じられるようになっている。
「七不思議のことで話があって、」
生徒だけでなく雛川にまで知られている。何の用だろう。教育実習生が実習そっちのけで遊んでいるように見えただろうか。しかしそれなら皆守の担当教員が話をするのでは? わざわざ雛川を通すような何かがあっただろうか。
顔を強張らせる皆守に気づいたのか、雛川はぱたぱたと手を振った。
「違うの。相談というか雑談というか――」
ちょいちょい、と手招きをされた。一歩近づき背を曲げると、雛川が耳に顔を寄せる。
「五番目の七不思議の答え、知っているの」
皆守はぱちりと目を瞬かせる。姿勢を戻して雛川を見下ろすと、悪戯っぽい目と目が合った。
終業後に雛川とバーで待ち合わせることになった。バーでは牛乳しか提供されないこともあって生徒はほとんど来ない。カウンターに座って千貫と軽く話をしていたところで雛川が姿を現す。
「ごめんなさい、会議が長引いちゃって」
「いえ」
皆守も「先生」と呼ばれてはいるが、まだ本当の教師ではない。立ち入ることのできない仕事があるのだと察することくらいはできた。彼らにとってはこの実習も真似事のように見えるのかもしれない。
「担任した生徒とこうやって肩を並べることができて嬉しいわ」
かけられた期待だか親愛だかは皆守には荷が重い気がしたが何とか頷く。雛川は慣れた様子で千貫にカクテルを頼んだ。皆守も飲める年齢だが、一応仕事の範疇だろうとノンアルコールである。
そうして話を聞くに、何のことはない、五番目の不思議の正体は本物の幽霊らしい。
そう言われてあっさりと信じるのもどうかと思うが、皆守は幽霊に命を救われた身だ。まさか否定するわけにもいかない。
「五番目の不思議はたぶん教員発祥なの」
転校生が多くいた名残で、教室には今でも余分な机が残されている。そこに生徒の幻を見るのだという。
「誰かが手を挙げて、じゃあ、って指名するでしょう? そうするとそこが空き机だったり、ぴったり摺ったはずのプリントが足りなくなったり」
そういうことが起こるのだそうだ。
「誰かに相談はしたんですか?」
訊くと雛川は首を振る。
「呑気に聞こえるかもしれないけれど……私、その幽霊が悪いものだとは思わないの」
あのね、と雛川は続ける。
「この學園には突然学校に来られなくなった生徒もいるわけでしょう?」
それが事故や不登校を指しているのではないことは分かる。雛川はかつて葉佩のバディだった。端麗が去ったいま、學園で唯一遺跡の秘密を知る教師でもある。
「だから、うっかり日常を続けちゃったり、授業が懐かしくなったり、そんな子もいると思うの」
幽霊もただ授業を受けたいだけだと言いたいらしい。
「――見逃してあげてほしくって」
すっかり不思議解体人の扱いである。皆守はがしがしと頭を掻いた。
「俺は、好きで七不思議を解決しているわけじゃないんですよ。だから聞かなかったことにします」
本当に悪いことが起こったらちゃんと阿門を頼ってくださいよ。言うと雛川はもちろんと笑った。
***
翌日、授業の見学中に皆守はその不思議に出くわした。
「せんせー! プリント足りないです」
窓際の列、一番後ろの生徒が言う。
「またか。ちょっと摺ってくる」
教師がぱたぱたと教室を出て行く。皆守は手持ち無沙汰に教室を見渡して、中央の列の空き机にプリントが一枚置かれていることに気がついた。さっき配られたプリントだ。あそこにあるじゃないか、誰かが間違えたのかと思うが、周りの生徒はこそこそと喋ったりノートを見返したりと、そのプリントに気づく様子はない。この不思議はすっかり學園の日常だった。
6.墜落するUFO
「それで、七不思議の六番目は何だ?」
皆守が腹を括って問いかけたというのに佐久間は微妙な顔をする。
「六番目は……解決するはなしじゃないというか……」
「どういう意味だ?」
「先生は、宇宙人とか信じて――」
「ない。宇宙人なんていない」
被せるように答えた皆守に不思議そうな顔をしながら佐久間が言う。
「昨日の夜、天文部がUFOを見つけたらしいんですよ」
佐久間が動画を持っていた。元は天文部の生徒が撮ったものだという。
一分ほどの動画だった。暗闇の中、すうと光が流れる。光はかくんかくんと二度方向を変えて、闇に紛れるように遠くへ消えていく。背景を見るにグラウンドで撮ったものだろう。
「それで今度の冬休み、UFO探索合宿をしたいって意気込んでるんです」
佐久間の声は皆守の耳に入らない。UFOはどこに向かったのだろう。宇宙人は実在したんだ。
屋上の扉を開けると途端に風が吹きつけてくる。ばたばたとネクタイが煽られるのをワイシャツのポケットにしまい、皆守はあたりを見渡す。身を寄せ合って座っていたカップルがぎょっとした顔をする前を通り過ぎて屋上の端、フェンスに向かう。
実習生として屋上へ来るのは初めてだ。もう後輩たちの居場所なのだと分かっていても、ここからの景色を見たかった。
新宿の景色を懐かしいと思う。学生時代はよくここで葉佩と話をした。そういえば、宇宙人騒動もあったはずだ。あれは朱堂のごまかしだったが。
後輩たちが皆守と同じような――それでいて少し違う道を歩んでいるのが感慨深い。掟は消え、天文部は夜に學園を歩き、UFOも見つける。
皆守は見せられたUFOの動画を思い返し――そして考えはじめた。
「お前らには覚悟が足りない!」
押しかけた天文部の部室で皆守は声を張り上げた。部室にいた人間たちが一斉に皆守を見る。視界の端で、案内してきた佐久間が肩を縮こまらせた。
「そんなんで宇宙人と出会ったときに地球人代表をできると思うな!」
「何なんですか? 先生」
部室のどこかから声がする。皆守はこちらを見る十数人を睥睨した。
「あの動画、捏造だろう」
「えっ、そうなの?」
これは佐久間の声だ。一瞬の沈黙の後、誰かが椅子を引く音がする。長髪の男子生徒が立ち上がった。
「本物ですよ。どうしてそんなこと言うんです?」
「俺の目を誤魔化せると思うなよ」
皆守はぴしゃりと跳ね除けた。
「あれはペットボトルロケットか何かだろう」
入浴剤から出る炭酸ガスなどを利用してペットボトルを飛ばす仕組みがある。
「ペットボトルロケットがあんなにかくかく曲がりますか?」
「多段式にすればいい」
ロケットを何段か組み、射出した後に時間差でもう一度射出をするのだ。本来ロケットを高く遠くに飛ばす仕組みだが、向きを変えることもできるだろう。
「それに、屋上に発射の跡がある。まだ濡れていたぞ」
「うそっ」
誰かの声に皆守はにやりと笑う。
「嘘だ。引っ掛かったな」
「……何で屋上だと分かるんです」
「見れば高さも速度も滞空時間も分かるだろう。あとは計算するだけだ」
皆守にはそれだけの目がある。でなければ銃弾に合わせてライターを投げ込むことなどできない。
「うそぉ」
今度の声は驚きと諦めの声だ。部室から誰かの嘆きが聞こえた。
「今年度の予算が……」
***
予算欲しさの狂言だったらしい。露見したこともあって天文部は活動を改め、三つに分かれることになった。天体観測をする天文部と、宇宙人を探す会と、マジック研究会だ。元々天文部はその三グループの集まりで、マジックで捏造した成果で過大な予算を取って合宿に向かうのが恒例だったのだとか。
皆守は実習の日誌をつけながら佐久間の報告を聞き流し、そういえば、と顔を上げた。
「結局、七不思議の六番目は何だったんだ?」
「えっ?」
「UFO発見は昨日の話だろう。ちゃんとした六番目の不思議があるんじゃないのか?」
訊き直すと佐久間は気まずい顔を作る。上目遣い、窺うようにして皆守を見た。
「六番目は……『なぜか部員が多くて予算が潤沢な天文部』です」
「……あっ、そ」
皆守が謎を解き明かしたことに違いはなかった。
7.學園に眠る秘宝
「七不思議最後にして最大の謎です!」
佐久間はぶんぶんと腕をふりながら力説した。皆守はそれどころではない。教育実習の最終日が明日に迫っているのだ。つまり、皆守が授業をする日である。流石に帰宅して教材を見直したいのだが、興奮した佐久間に気づく様子はない。
「學園の卒業生に大富豪がいるってはなしなんですよ!」
「そりゃあ富豪の一人や二人、いるんじゃないか?」
脳裏に阿門を思い浮かべながら皆守は適当に返事をする。皆守が大学の入学式に備えて吊るしのスーツを買う傍らで、家に業者を呼んでオーダースーツの採寸をさせていた男である。羨ましがるより先に感心してしまったのを覚えている。
「それで、その大富豪が學園に財産を隠しているんです!」
「なんだそりゃ。徳川埋蔵金か?」
大富豪が卒業した高校に何のこだわりを持つのか。
「その地図がこれ!」
佐久間は皆守を無視してずいと携帯電話の画面を差し出した。なんだか皆守と付き合ううちに図太くなってきた気がする。皆守は画面に映る地図らしき写真に目を細めた。
「なんでお前が地図を持ってるんだ?」
「生徒はみんな持ってますよ! 元の紙はどこかに行っちゃったらしいんですけど」
先輩から後輩へ、人から人へと転送され続けているらしい。不幸の手紙のようだ。いや、幸運の手紙なのか?
しかし、地図に見覚えがある気がする。皆守はじっと佐久間が差し出す画面を見つめる。ボールペンで描かれた地図だ。雑に描かれた正方形、その端から線が伸びている。線は何度か折れ曲がった末に目立つ星印に辿り着く。横には「忘れずに回収すること!」と癖のある字で走り書きがあった。
「ん?」
右肩上がりのその字を知っている、と思う。葉佩の字じゃないか? それに気づいた途端に理解する。この地図は遺跡の地図だ。正方形は大広間、そこからどこかの区画に入って進む先を示している。そしてそれは……皆守の守っていた区画じゃないか?
熱心に地図を目に焼き付ける皆守に佐久間はわくわくした顔を隠さない。
「先生、何か気づきました!?」
「佐久間」
「はい!」
「この謎は迷宮入りだ」
「えっ!」
「俺は帰る」
せんせー!と呼ぶ声を背中に皆守は帰路を急ぐ。泊まり道具を取って戻って、阿門の家に泊めてもらおうともう決めていた。墓地に行かなければならない。
阿門も呼んで、生徒が眠りに就いた時間を見計らって墓地に赴いた。
墓地はあの一件の後掘り起こされ整地され、葉佩たちが出入りしていた穴も一見してそれと分からないよう塞がれている。二人がかりで穴を塞ぐ石を移動させ、用意したロープを穴に垂らす。そうして遺跡に飛び込んだ。
「……まるで霊廟のようだ」
遺跡は活動を停止している。トトが守っていた氷の区画も、皆守が守っていた溶岩の区画も、燃え盛っていた玄室も、今では土と同じ温度をしていることだろう。壁や天井のところどころは崩落しかけた際に欠けて、本物の「遺跡」の姿をしていた。葉佩が遺跡を解放するまで、ここは忌まわしい「施設」だったのだ。
二人して思い出に浸りながら歩く。夜の地中はひんやりと冷たく、厚着をしてこなかったことを後悔した。地図の記憶を頼りに冷えた溶岩の地面を辿る。
「……何かあるな」
地図に記されていた部屋に入るとすぐにわかった。部屋の中央に瓦礫が積まれている。瓦礫と言っても崩落した壁や天井ではなく、葉佩が鍵開けに取り組んでいた宝の壺の欠片だ。平たく、円形に積まれているので人為的なものだろう。
瓦礫を覗き込むと、中央に銀色の何かが見えた。アルミホイルの包装のようだ。かつてこの区画には溶岩が煮えたぎっていたので、中身が焼けるのを防止するためだろうか。
今はアルミホイルは冷えている。皆守は温度を確かめるように二、三度つついてから包みを取り上げた。金塊にしては軽いように思われた。
包みを開く。中身は赤みがかった紫色、手のひらよりもやや大きいサイズ、丸っこい紡錘形で、ところどころが黒く変色しているが間違いなく――
「芋だな」
横から覗き込んだ阿門が言う。皆守も呆然と呟いた。
「芋……」
「さつまいもだ」
「焼き芋……?」
「そのようだ」
「溶岩で……?」
「だろうな」
大富豪が學園に隠した財産の正体が、焼き芋。
二人で顔を見合わせる。そしてどちらからともなく吹き出した。
「焼き芋!」
「葉佩は……」
「馬鹿だ!」
笑いながら皆守は叫んだ。阿門は人を罵るのに躊躇があるらしいが明らかに同意の顔をしている。
いつ準備していたのだろう。この区画が開いたのは十二月も末のほう、《秘宝の夜明け》の襲撃の際だ。それを撃退して、温室で白岐と話をして、玄室に辿り着くまでそう時間はない。その隙間を縫ってやることが焼き芋とは。忙しかったからメモを用意したのだろうが、結局忘れているのも可笑しい。
ひとしきり笑いが落ち着いたころ、ぐうと皆守の腹の虫が鳴った。気が急いてろくに夕食を食べなかったのだ。
「焼き芋食いたいな」
流石に数年放置された芋は食べられない。
「コンビニにでも行くか。何か温かいものがあるだろう」
深夜なのでマミーズは開いていない。しかし二人とも學園から解放された身である。掟も規則も関係なく、深夜に出歩いたとて補導される訳でもない。
「そうするか」
皆守はうんと伸びをして背骨をぽきぽき鳴らす。そうして遺跡の出口へと歩いていった。
終
「この授業では何でも発言していい」
研究授業の最初にそう言うと、数人の生徒がうつむけていた顔を上げた。興味深そうな眼差しを受け止めながら皆守は続ける。
「暑い寒い眠いから分かる分からない、もっと詳しく聞きたいまで、どんな発言も歓迎する。ただし――」
皆守は一呼吸おくとほんの少し唇をつり上げた。
「七不思議の話以外だ」
教室のあちこちから「ええー」という声が漏れる。皆守はすっかり學園の有名人だった。教室の後ろに佇む見学の教師が多いのは気のせいではない。いくらかは「あの」皆守の変化を見たいという動機かも知れないが。
「じゃあやるぞ。教科書開いて。86ページから」
ぱらぱらとページを捲る音を聞きながら皆守も黒板に向き合う。
幾多の視線を背中で受け止めて、負けやしないさ、と思った。