アローラはいいところ

アローラの空は、どこまでも広い。高い空ならよく知っているけれど、開けた空を見るのは新鮮だ。シロガネ山から見た空はどこまでも高くて、けれどそこから見る地上は小さい。上はあっても、外はない。ここでは逆だ。空を見上げると地面にへばりつく自分の小ささを感じるが、それと同時にどこまでも自分が広がる解放感がある。なんだって試せて、なんだって出来るような。

 だから、隣に立つグリーンにそう言われたときは、とうとう読心術まで会得したのかと驚いた。

「昔はさ、なんにでもなれる気でいたよな」

 今日はバトルツリーの仕事はお休み。今のうちに姉やジムへのお土産を買うのだというグリーンは、問答無用で僕も連れ出した。曰く、マサラタウンで待っている僕の母にもお土産が必要だろうから。

 昔は傍若無人のオレ様だったグリーンは、僕の知らない間に礼儀作法や思いやりを身に着けた。僕の目にはそう見えるけれど、実態は多分違う。グリーンは元々、僕以外には優等生のように振る舞うことが出来ていた。ただそれを僕に、というか、僕の代わりに発揮するようになっただけ。本当のことを言うなら、そういった作法に疎いのは僕のほうだ。母の心配を承知しながらも長年帰省しなかった僕が、社会で求められるものに応えられるはずもない。だからグリーンがあれこれと僕に口煩くするのは、まったく当然のことだし、むしろありがたいことでもある。

「そのTシャツのやつにセンスなんて期待しねーから、取り合えず土産選びに付き合ったって実績は作れよ。出来たら荷物送る時の宛名も書け」

 口煩いと言ったって、グリーンの要求はこれだけだった。あらかじめ目星をつけておいた土産物屋を三つ巡ること、そこで実物を見てお土産を決めて宅配すること、それぞれの開店時間に合わせたスケジュールを昨日のうちにグリーンは宣言していた。ジムリーダーをやるうちに身に着いた技術だろう。彼のジムには彼を慕うジムトレーナーがいて、きっとそれぞれに仕事――僕にはバトル以外に何があるのか想像もつかないが――を割り振る必要があるから。僕は目的地を決めることはあっても予定を立てることなんてほとんどないから驚いてしまう。

 同じ町から、同じゴールに向かって旅をしたのに、僕たちはこんなにも違う。その違いに気づくたびに、僕は毎回律義に驚く。

 グリーンは僕の内心に気づくことなく、真っ直ぐ前を見て歩いている。海風が彼の明るい色の髪を揺らした。アローラの眩しい太陽に照らされて、グリーンの髪はきらきらと光を透かし、肌は健康的に白く輝く。若者らしいはじける光を纏いながらも、彼の雰囲気は浮ついたところなく落ち着いている。

「何にでも。チャンピオンだろうが、ポケモン博士だろうが。それこそ警官でも船乗りでも花屋でも」

 あの頃とは違い、グリーンは何の力も込めずに「チャンピオン」と口に出す。それが、あれから僕らが歩んだ距離だった。何の気負いも期待もない、ただの職業や役職のようにグリーンはそれを扱う。それが慣れなのか、諦めなのか、あるいは一度それを手にしたゆえの傲慢なのか、僕には判断がつかない。

「でも多分、本当は最初から決まっていたんだ」

 外から見ればどれも同じタマゴでも、中にはちゃんと違うポケモンがいるように。
 僕が首を傾げると、グリーンはそれを分かっていたように笑う。

「オレはお前みたいにはなれないってことだよ」

 その言葉には、はっきりと何か負の感情が滲んでいた。寂しさ、悔しさ、悲しさ、そんなものが。それは言葉を伝ってするりと僕の心に入り込み、伝染したように僕の心を微かに締め付けた。
 もちろん僕も、グリーンのようにはなれない。

 立ち止まった僕たちに、容赦なく海風が吹き付ける。僕とグリーンの間を風が通り抜ける。僕たちが決定的に分かたれてしまっていることを、僕は改めて思い知る。

 あの頃から今まで、僕はグリーンがライバルであることを疑ったことはない。ライバルとはつまり同格ということで、同じ町の、同じ年の子どもとして始まった僕たちは、けれどもう随分と違っている。そしてグリーンは言う。そもそも最初から、僕たちは違っていたのだと。

 それでもグリーンの表情は明るい。何の陰りもなく、グリーンは前を向いて歩く。

「ポケモン図鑑の、ラブカスの説明覚えているか?」

 グリーンがこう言うときは、僕に答えを求めてはいない。僕が黙っていると、グリーンはやっぱり答えを口にした。

「1匹だけになったラブカスは元気がなくなりスキだらけ。そこをペリッパーにさらわれる」

 アローラ地方では、やっぱりアローラのナッシーの姿をよく見た。ナッシーアイランドなんてものもあるし、Tシャツやらぬいぐるみやらの姿もよく見る。けれど、それに負けないくらい、ラブカスの姿もよく見かける。ハネムーンに人気の場所、青い空、輝く海。そんな場所にぴったりのポケモンとしてプールに放流されたり、岬のモニュメントになったり、あるいは、カップル向けの服にプリントされたり。僕たちが歩いている通りでも、ラブカス型のクッキーが乗ったパフェだとか、マグカップだとか、そんなものを見つけることが出来る。

 それを横目にグリーンは言う。

「どっちがいいんだろうなあ」

 その言葉の意味が分かることが、健全なのか不健全なのか。それでも結局、答えは変わらない。

「僕たちには無理だよ」

 僕はグリーン抜きでシロガネ山に籠ることが出来る。グリーンは僕抜きでジムリーダーになることが出来る。お互いがいなければ弱ってしまうような、そんな存在にはなれなかった。

「だよなあ」

 そうなれたらいいのに。思わないわけではないが、現実は変わらない。僕たちは僕たちのまま。

「でも」

 僕は空を見上げる。どこまでも広がる青い空。グリーンと僕はまあまあ似ていて、けれどやっぱり決定的に違う。グリーンが最初に発した言葉も、やっぱり僕の内心とは違う。

「何にでもはなれなかったけど、何でもは出来るよ」

 ああ輝かしいアローラ地方。ただの住所不定のポケモントレーナーと、カントーのジムリーダーが一緒にバトルレジェンドをできる場所。アローラに来てからこっち、僕たちは昔のように二人で行動することばかりだ。同じ場所でバトルをして、同じ場所でご飯を食べる。寝る時だって、まあ、お隣さんよりは近い距離だ。

 旅をしていると、やっぱりいろんなポケモンを見る。ラブカスはやっぱりペアで行動するけれど、違うポケモンが混じり合って生きていくことだってできるのだ。現に僕はピチューを育てたガルーラを知っている。

「なるほどな」

 グリーンは悪戯っぽく笑った。

「それじゃあレッドくんも、定期的に連絡が取れるようになったりするわけだ?」
「……がんばる」

 僕は思わず帽子のツバを弄る。はじけるようにグリーンは笑う。

「冗談。今さらだ」

 別にそのままでいい。

 グリーンは言う。少しの寂しさと、呆れと、怒りと、沢山の親愛を込めて。何にでもはなれなくて、何でもは出来ない僕たちは、けれどこの一瞬、一緒に歩くことが出来る。それだけしかできなくて、それで十分だった。

「ほら、そこの角の店。もう人が入ってる」

 アクセサリーだか香水だか、ナナミさんへのお土産があるかもとグリーンが挙げたその店は、小さいのに沢山の人で溢れている。

「急ぐぞ!」

 駆け出すグリーンの表情は明るくて、僕までなんだか楽しくなってくる。アローラの開けた空の下、僕はやっぱり、何だって出来るような万能感と共に地面を蹴った。