再配達依頼
葉佩の部屋は散らかっていた。普段はクローゼットやベッド下に仕舞われているはずの衣類や武器の類が乱雑に床に放り出されている。皆守はベッドの上からその惨状を眺めた。床は足の踏み場もないほどで、皆守は高台から洪水の様子を眺めているような気分になる。眼下の混沌になすすべもなく、逃げ出そうにもほかに居場所もない。
皆守の所在なさを尻目に葉佩は部屋の中を大股で移動しながら散らばった物たちを拾い上げて部屋の隅の段ボールへと運ぶ。ひょいひょいと荷物を跨ぎながら部屋を片付けていく様子は間違いなくこの小さな土地の領主の振る舞いに相応しい。
「皆守、おれの制服貰う?」
「……今更いるなんて言うと思うか? 卒業まであと三か月もないぞ」
「だよね。だけど、夷澤と響にはサイズが合わない気がするんだよ」
葉佩はふと足を止めると床からペンケースを拾って壁際のバックパックへと放った。皆守にも見覚えがある、学校に持参していたペンケースだ。持っていくのか、と少し意外に思う。ちらりと備え付けの学習机を見ると教科書やノート類が重ねてある。その横には葉佩の言う制服もきれいに畳んで置かれていて、つまり机は不要なもの置き場だった。学用品のほとんどがそこに積まれているのでペンケースもそうだと思い込んでいたが、宝探し屋だってメモ書きくらいするだろうと納得する。
葉佩は着々と學園を去る準備をしている。それを見守りながら、皆守は今の状況を少しだけ不思議に思う。
遺跡が崩れてから二日が経っていた。あの双子によって崩壊する遺跡から救われた後、阿門も皆守も真っ先に八千穂に詰られた。その背後では白岐がほっと安堵の息をついていて、葉佩は腰を抜かしてへたり込んでいた。いつまで経っても立ち上がらないので皆守が手を差し伸べると、葉佩は万力のような握力で皆守の腕を掴んだ。皆守を見上げる葉佩の顔色は未だ蒼白だったが、口元は奇妙に歪んで笑みの形を作っていた。
「お前ひとりで全部を決められると思ったら大間違いだ」
ぐいと腕を引かれて、思わず膝をついた皆守を葉佩が同じ目線で見つめる。
「なあ」
そう呼びかける葉佩の眼差しに皆守は覚えがあった。
あの教師と同じ、何かを伝えようとする目が質量を持って皆守を貫く。あの教師の瞳はそのあとすぐに、そして永遠に閉じられてしまったが、葉佩の目は皆守から逸らされることがない。
見られている。葉佩の視線に囚われたように逃げ出せない。皆守はその視線に縫い止められた自分を強く意識する。今、ここにいる自分。
あの教師が言葉を尽くそうとした相手、葉佩の怒りの矛先である自分が、ここに生きて存在している。死んでいたなら、この目に見つめられることも、見つめ返すことも出来なかった。そう気づいてようやく、皆守は言うべき言葉を思い出す。
「悪かった」
本心からそう思った。心臓がきゅうと締め上げられたように痛んだが、それでいいのだと思う。たぶんそれが生きているということで、話をするということだ。皆守が見ないふりをしていただけで、皆守の外側には広い世界があり、たくさんの人がいる。今まで何も言わず、何も聞かないまま人間を墓に埋めてきたことで皆守は何を損ねて来たのか、初めてきちんと理解する。
あの教師に生きていてほしかった。逃げ続けていた心の傷を見つめる。話をしたかった。あの温室での日々が続いてほしかった。自分で壊してしまったからずっと言えなかった後悔を認識してしまえば、同じことをしようとは思えない。
皆守の視線の先で目を柔らかく撓ませて、葉佩は「ばーか」と笑った。葉佩はまだ掴んだ腕を離さない。腕を掴まれて苦しいし、疲れも酷い。心臓はまだ痛んで体は何一つ自由にならない。それでも、それでよかった。皆守はもう、そういうものから逃げださない。
皆守はぼんやりと部屋を動き回る葉佩を眺める。深夜だった。部屋の照明は煌々と輝いているが、空気はしんと静かだ。時々葉佩が話す声と、物を動かすときの足音だけが部屋に響く。皆守はもう長いこと何もせずに葉佩の片づけを見守っているが、退屈だとは思わなかった。あちこちに視線を動かす横顔の輪郭や、耳の形、ゴーグルの縁でついたのだろう小さな傷、知らなかったものがたくさんある。隠し事の無い状況だと、気楽に話も出来た。もう葉佩を殺すことはないのだと思えば、深入りを避ける気持ちもない。葉佩が明日にはいなくなっているとしても、あるいはだからこそ、葉佩のことを知りたいという興味も尽きない。元々は「余っている食材を貰って欲しい」と葉佩から部屋に誘われたのだが、半分くらいは口実なのだろう。おそらく、葉佩が自由にできる時間は今日が最後だ。だから皆守も、その言葉を脇に置いて荷物を整理する葉佩を詰る気はなかった。静かな部屋で、名残を惜しむように同じ時間を共有している。
「もうバックに入らないな……段ボールは部屋に送って、武器は全部次の遺跡か」
「頼むから銃なんかを忘れていくなよ」
「分かってるって」
ベッド脇に積まれた刀剣類だけでも数がある。學園内でくすねた分は多少元に戻しているようだが、よくもこれだけの物を仕舞っていたものだと思う。葉佩の部屋は物が多かったが、それなりに整頓されていた。それが全て引きずり出されて生まれた混沌は、段ボールの中という新たな居場所を与えられて少しずつ解消されていく。あちこちの荷物を跨いで移動していた葉佩も、今ではスムーズに部屋を歩いている。
「これで全部かな」
水回りから戻ってきた葉佩は手にしていたフライパンを机の上に置く。皆守はそれを目で追った。寮の談話室には「ご自由にどうぞ」のスペースがあるから、そこに置かれることになるのだろう。毎年卒業生が使いきれなかった食器用洗剤や不要な家具を残していく。葉佩の部屋にあったいくらかも、そこからくすねたもののはずだった。
「それ、持って行かないのか?」
目に留まったのは教科書の山の一番上にある文庫本だった。カバーが掛けられていて何の本かはわからないが、暇な時間があると葉佩は大抵この本を手に取っていたはずだった。ランドリールームで洗濯機が止まるのを待つ間や、皆守やほかの誰かと待ち合わせているときに。皆守は何を読んでいるのか尋ねたことはない。そこから話題が膨らむ想像が出来なかったし、本を読んでいる葉佩に皆守の知らない来歴を感じて恐ろしかったからだ。
それがぽいと捨て置かれている。葉佩に目をやると困ったように眉を下げた。
「空港で暇つぶしに買ったやつだから、要らないと言えば要らないんだよね。内容は覚えてるし」
ベッドから降りて本を手に取る。書店名が記された紙のカバーは、端が毛羽立って手垢がついてぼろぼろだ。中は日本語で、タイトルを見ても皆守には覚えがない。
「少し昔の紀行小説だよ。バックパッカーがあちこち旅行する話」
葉佩の補足を聞いてもう一度ぱらぱらとページを捲る。それが分かると地名らしいカタカナが目に入るようになった。
「貰っていいか?」
「いいけど……」
葉佩は本当に困惑しているようで、皆守は首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「うん……」
葉佩が少し躊躇って口を開く。
「何か、もっといいものをあげられるかと思ったんだけど。全然思いつかない」
ぱちりと目を瞬かせる皆守の前で、葉佩の目が気まずそうに彷徨う。
「宝探し屋なのにな。お前に何にもやれなかった気がする」
「……そんなことはないだろ。お前がいただけで――」
咄嗟に口が動いた後で、遅れて実感が湧いてくる。
「――この三か月にお前がいただけで十分すぎるくらいだ」
しんとした静けさに、忘れるなよと記憶を押し付けた夜を思い出した。自分が大切だと思うものを大切にしてほしい。子どもじみた願いに加えて、今の皆守に言えるもう一つ。
「俺の方こそ、お前に何かやるべきなくらいだ――俺はお前に何をやれる?」
「……じゃあ、それ、持っててよ」
葉佩が目線で皆守の手の中の文庫本を示す。
「本当は、結構好きな本なんだ。宝探し屋になる前から読んでいた。宝探し屋としての最初の仕事だってわくわくしながら空港に行って、偶然見つけて嬉しくなって買ったやつ」
皆守は手の中の本に視線を落とす。その話を聞いただけで、どこにでもあるような本が特別に輝いて見えた。
「――お前はやっぱり凄腕の宝探し屋だよ。大切にする」
「そうしてくれると嬉しい」
はにかむように笑う葉佩に頷く。あの夜と同じしんと冷えた寮の一室で、皆守の手の中には楽観的な未来への希望があった。