怒れる男たち

ある男

 男の左手はシフトレバーにかかっており、いつでもキニーマを発進させる準備ができていた。彼は右手でキニーマのハンドルを軽く握り込み、親指でその感触を楽しみながら信号を待っている。彼の右足のブーツのゴム底はブレーキを踏み込みながらアクセルへ踏みかえる瞬間を待っていた。男は職場を出て家へと帰る途中だったが、この「キニーマに乗って自宅へ帰る」という行為は物理的な経過以上に、男が職場を離れるための精神的な儀式だった。

 キニーマを運転するというのは男にとって最も個人的で純粋な喜びだった。そして素晴らしいことにそのキニーマは職場から遠ざかっており、それをなしているのは男の運転技術なのだ。こう考えることで彼は仕事、閉塞感のある職場の建物、煩わしい人間関係、それから値踏みの視線を忘れることができた。

 男は倫理主義者として振る舞い、そうすることに抵抗もなかったが、それは男の中に現状への鬱屈が存在しないというわけではなかった。現実はいつだって男にとって煩雑なものだった。特に、男は自らの人種から軽んじられることが多かった。

 ばかげたことだと男は思っている。実際、男に軽んじることができる部分など何一つなかった。男の眉には威厳が籠もり、小さな動きひとつで人々をコントロールすることができた。男の仕事にも不手際はなく、男の態度は正しく規則に則っていた。彼は誰にも隙を見せたことがなかった。それを成し遂げている自分を男は誇りに思っていた。

 信号が青になり、男は素早くクラッチを操作してキニーマを発進させる。定時から二時間が経過していて、道路はやや空いていた。男は仕事に対して真面目に取り組んでいたが、よほどの事情がない限りは長時間の残業を避けるようにしていた。男は自らが仕事に飲み込まれることを警戒していた。男の職場は非人間的な事象に度々接するものだったし、男は大抵のことにもう十分だという気持ちを持っていた。

 自分をすり減らすのはもう十分だ。

 男は交通マナーを守りながら、可能な限りキニーマの性能を発揮させてやる。男は特に加速と滑らかなハンドリングを体感するのが好きで、周囲の人間が想像するよりも十一分も早く家へ帰ることができる。

 キニーマは根源的な喜びだ、と細く開けたドアから風を感じながら男は思う。かつて男は飛行艇が好きだった。特にその革新性に憧れたもので、男のジャケットとブーツにはその名残がある。その憧れが破れてからも、男は何か大きな、移動のための機構が好きだった。何が好きかと言われると難しく、形状、動力、力強さ、速さなどいくらでも挙げることができるのだが、一番の理由を聞かれたならきっと、男はそれが人の手の内にあるものだからと答えるだろう。男は、大きく、重く、早く、簡単に人を圧倒することができる道具が人の手にあるという事実を好んでいる。

 だからと言って、男が残虐で人を威圧する人間かと言うとそうではない。男はむしろそういった行動を嫌っていた。男はあらゆる接触と衝突を嫌っていた。男は確かにモラリストだった。男の良心は日々試されていて、これ以上そんな残虐さを好むような段階にはなかった。

 男はすでに見下されていたし、職業上の理由から人間性の喪失を日々目の当たりにしていたし、そうでなくとも男の住む場所に倫理が行き渡っているわけではなかった。男は一種の理想主義者であり、現実との落差を知り続けることを拒んでいる。

 男が好きなのは、あるべきものがあるべき場所にあり、その場所での責任を果たすことだ。つまりよくよく飼いならされた道具たち。

 キニーマは、彼の移動式の砦のようなものだ。

 そこは彼の王国で、住民は一人しかおらず、いつだって平和だ。倫理主義者の王国は猛スピードで車道を走る。ここで男はようやく思う。自らの指先が、キニーマの車体が彼の国境で、その内側に自分が充満しているのだと。

また別の男

 見ることが、男が世界に干渉する唯一の手段だった。

 男は一人で、だから世界に対して無力だった。仲間がいたなら、そう思った日もあったが、仲間に背を向けたのが男自身である以上それは無理な相談だった。

 だから男はただ世界を見る。それは一種の暴力だ、と男は思う。

 文字通り、男の行為には暴力の気配があった。男はライフルを構え、そうして照準の先に世界を見た。男の見たものは、いつでも男に殺される可能性を抱えていた。

 そうでなくとも、男はこの世界への唯一の対抗勢力だった。男は時折街を歩いたが、いつだって細心の注意を払うことにしていた。男はこの世界を受け入れたわけではない唯一の男だからだ。男の存在は世界に対して無力ではあったが世界に対して否を突き付ける存在であるのは確かで、世界に見つかったのなら男はあっという間に死んでいただろう。

 そういう眼差しで男は世界を見る。かつての敵がのんびりと日に当たる様子を、何も知らない子どもが爪を噛む様子を、毎日上下するクレーンの気配を、陰のある女の横顔を、その女の頬を撫でる男の手を。

 見られたものは変質していく。男はそう信じた。俺はおまえに否と言う。そう呟きながら男は見る。見続けた世界は確かに少しずつ変わり、しかし男を見つめ返す様子はない。男はそのうち見ることに満足しなくなる。そうして世界に手を伸ばした。

 男が忘れていたことがあるとしたなら、男の眼差しは暴力だったということだろう。男は因果として眼差され、そうして男の存在は死んだ。男は世界の中に組み込まれ、世界の敵としての性質を失う。見ることは確かに暴力だった。世界を自らに取り込もうという貪欲な働き。

 男はそのときようやく己が何をしてきたのかを身をもって知った。男の胸の内ではあの街が息づき、そして男を通り過ぎていく。

また別の男

 仕事がないときの男について説明することは難しい。

 男は職場から帰った後、酒を飲むことしかしていない。あるいは、何もせずにサッドFMを聞き悲しみに浸るか。つまり、男は空っぽの人間だった。

 かつてはそうではなかったように男は思う。男には婚約者がおり、家に帰ると食事と話し相手がいた。休日に、いわゆるデートに出かけることだってあった。しかし、婚約者は出ていき、男には何もない。

 つまり、男は元々何も持っていなかったのか? 元婚約者以外?

 その発想から目を逸らすように、男は己を飾り付ける。趣味の悪いネクタイ、ディスコブレザー、フレアカットパンツ、ヘビ革の靴。かつて男が熱狂したディスコを体現するかのような服を纏い、それで何をするのか?

 仕事だ。男に夜を踊り明かすほどの高揚は残っていなかった。男に残っているのは仕事だけ。そもそもそんな時代はとうの昔に過ぎ去った。そしてこの時代に残っているのは嵐の後始末としての掃除が必要な出来事ばかり。こうしてディスコ・エリジウムが出来上がった。