繋ぐ部屋

 朝起きたらメールが来ていて、何かと思えば「カレー借りた」とある。一拍置いて、皆守ははあと呟いた。そのまま寝起きのぼんやりとした足取りでベッドから降りてキッチンへ向かうと、冷蔵庫のドアをそっと開いて覗き込む。

 そこにあるはずのカレー鍋が消えていた。

 皆守は部屋を見回す。大学院生の一人暮らし、1DKの部屋はそれだけですべてが見渡せてそこに人影は見えない。というより、見えるはずはない。皆守には昨日帰宅したときにきちんと鍵をかけた記憶がある。

 皆守はもう一度メール画面に目を落とす。差出人は葉佩九龍。住所不定、いまどこにいるのかもわからない皆守の友人は職業がなんと宝探し屋で、だったら不可能もないのかもしれない。流石に今まで民家の鍵を開けたことも瞬間移動を覚えた様子もなかったが、と首を傾げて、「どういうことだよ」とだけ返信をした。

 問題は友人が超能力を取得したことではない。皆守の朝食が見当たらないことだ。昨日作ったカレーは二日目で味が染みているはずで、オーソドックスなカレーライスにするか、それとも食パンに乗せてチーズと一緒に焼いてみようか、そんなことを考えていたはずなのにすべてがおじゃんだ。皆守が絶望と呪詛に塗れながら食料を漁っていたところで、今度は電話が着信を告げた。

 時刻は朝の七時三十六分。こんな時間に電話をかけてくるのは一人だけだ。

「おい、俺のカレーは?」

 皆守が開口一番そう尋ねると、「おいしかったよ」と返ってきた。皆守は天を仰ぐ。借りたではない、盗んだの間違いではないか。残念ながら今の皆守は味を褒められて慰められるような精神状態ではない。

「どうやって入った?」
「うん、それが。魂の井戸、って覚えてる?」

 皆守にはもちろん心当たりがあった。皆守には三か月の間葉佩のバディをやっていた事実がある。同時に、そんな時代は十年近く昔の話だろうにと自分の記憶のしつこさに笑ってしまう。

「あの小部屋か? お前がノート取ったり荷物整理したりするのに使っていた」

 それは畳二畳ほどの小さな部屋で、清水の湧く清々しい空間だった。そこには化人は入ってこられないらしく、怪我の手当てやら荷物の整理やら水分補給やら、葉佩がなにかと重宝していたのは知っている。

「あれって、同じ超古代文明の遺跡だったら大抵見つかっているんだけど」
「ああ」
「あの井戸にさ、自分の部屋に繋がる機能があっただろ」
「ああ……」

 今度のああは呆れのああだ。葉佩の周りではこういう話に事欠かない。常に熱されている剣だとか、黄金の拳銃だとか、惑星型の時計だとか。葉佩曰くのオーパーツだが、もはや場違いどころではなくあるべき時代すらも間違えている。

「それが何故か皆守の部屋に繋がってさ」

 葉佩が超能力を行使したのではなく、超古代文明の力らしかった。皆守は納得の息を吐いてから声を潜めて葉佩に問いかける。カレーがなかった絶望はいまは友人の安否への不安に変わっていた。

「それで、大丈夫なのか?」
「何が?」

 葉佩の声はとぼけている。

「俺の部屋には武器も弾薬もないだろう。お前、困らなかったのか?」
「ああ、うん。丁度カレーが欲しかっただけだし」
「そうかよ」
「それで、悪いけど鍋は今度遊びに行った時返すから」
「今度っていつだよ。つい先週遊びに来たばっかりだろ」
「うーん? 一か月後? なるべく早く仕事終わらせるから」
「急かしたんじゃない。無事で帰ってこい」
「りょーかい! じゃあね」

 それで通話が切れた。一か月自作のカレーが作れない悲しみに浸りながら、皆守はスマホの画面に表示された通話履歴の、外国のものらしい電話番号を眺める。

 そういえば、原因を聞き忘れたなとその時思った。





 約三週間後、草臥れた本人と一緒にカレー鍋は返ってきたが、それからも皆守の部屋からものが消えることは度々起こった。ティッシュ箱、ボールペン、洗剤、それからレトルトのカレー。皆守の方も慣れっこになってしまい、一度予備の傘を取られて天を仰いで以降は葉佩が取っていきそうな備品は複数用意するようになった。

 大抵そういう時には葉佩からメールが来るし、その後は金銭での補填もあるのだが、問題はそこではないと皆守は耐えかねて切り出した。

「なあ、九ちゃん」
「うん?」

 カレー鍋はもう二度と取るなと言ったら、予備だと言って葉佩は学生時代に皆守が贈ったはずのカレー鍋を寄越してきた。ぴかぴかのそれを矯めつ眇めつしながら皆守は言う。

「いくら超古代文明のせいだといっても、そろそろちゃんと原因を探った方がいいんじゃないのか」
「何の?」
「お前の言う魂の井戸が俺の部屋に繋がることの。何かあってからじゃあ遅いだろう」

 流石に弾薬やら銃器やらを部屋に置いておくわけにはいかない。それで葉佩が困る日が来るかと思うと皆守は気が気ではない。そういうつもりで言ったのに、葉佩は目を泳がせる。

「うーん、原因は大体わかってるんだよね。原因と言うか、法則か」
「なんだよ」
「言ったら皆守が困りそうで嫌なんだよな」
「はあ? 言えよ。こっちはもう心配で困ってるんだよ」

 葉佩がもう一度うーんと唸る。それから皆守の苛々とした雰囲気を感じ取ったのか重い口を開いた。

「あのね、魂の井戸は今までおれの現地の拠点に繋がってたの。宿とか、車のなかとか。おれ、定住する家は持ってないから」
「ああ」
「それで、皆守の部屋に繋がるのは探索を開始してすぐの頃なんだよね。現地の拠点にまだ馴染みがないとき」

 皆守の頭の中で何かがひらめく。それでも皆守は問いかけた。

「それで?」
「だから、皆守の部屋に繋がるのは、おれがそこに馴染んでいるから、だと思う」

 困らせた? 葉佩がそう言うのに皆守は首を振る。葉佩が十年近く保管していた埃もくすみもない鍋を隣に置いて、それから噛みしめるように瞼を閉じる。

「いや――嬉しい」

 こんなに嬉しいことがあるだろうか。ここがいっときでも葉佩の帰る場所として認識されている。過去から今までに受け継いだものだけでなく、これから変化する未来への兆しがある。深く息を吐くと、葉佩が困ったように笑って見せる。

「九ちゃん、お前さ、俺が今度引っ越すときは家賃も払えよ」

 大学院生の一人暮らし、1DKの部屋には客間はない。葉佩の眠る客用布団は皆守のベッドの横に敷いてあって、部屋はいつもより狭苦しい。今度引っ越すとき――それはたぶん皆守がどこかで働きだすときだ――は家賃を折半して物置が広い部屋に住んでやろう。そんな先走った未来を口にした皆守に、葉佩はくしゃりを笑った。

「今だって払いたいくらいだ」

 泊めてくれてありがとう。おれの帰る場所を作ってくれて。

 そう言う葉佩の頭をくしゃくしゃとかき回して、皆守も笑った。