カレーのはなし

 お前はときどき突拍子がない。カレーが食べたいって言っただろ? 十二月二十五日の未明、くたくたになりながら玄室を抜け出そうとしている最中、何にも知らないような声で。

「お腹減った。何だろう。肉……? ごはん……? カレーだな。カレーが食べたい。白ご飯山盛りのカレーが食べたい」

 誰もお前を相手にしなかった。白岐は黙っていて、端麗は煙管をふかしていて、阿門は静かに足元を見つめていた。だから俺が言うしかなかったんだ。

「何だよ突然」

 正直に言うなら、俺だってお前を無視したかった。後悔で痛む心臓を抱えるのに忙しかったんだから。でも、お前の言葉が宙に消えていくのも惜しかった。

「言っておくけど、おれは夕方から働き詰めだったんだ」

「俺だってそうだよ」

 黙らせようと思って言ったんだ。言ってからしまったと思ったよ。なんて傲慢な台詞なんだって。本当は俺が無理を言って探索について行った。お前が《秘宝の夜明け》に殺されるところなんて見たくなかったし、《副会長》としてやるべきことがあった。お前が戦ったうちの一戦は――俺がもっと早く決心をしていれば――不要なものだったし、アラハバキ神戦でも先陣を切ったのはお前だった。でも、お前はさっぱり気にした様子がなかった。

「ならわかるだろ。お腹減った」

「はいはい」

「あーあ、皆守が作ったカレーが食べたいなあー」

「はあ?」

 思わず顔を上げると、わざとらしい笑みのお前と目が合った。

「さぞ美味しいんだろうなあ。なんたってカレー評論家が作るカレーだもんなあ」

「そんなこと言ってる場合か?」

 本当に呆れていたのに、お前の笑みは深くなるばかりだ。

「おれに作ってくれないのはやっぱり友達じゃなかったからなのかなあ。悲しいなあ」

 お前の声は明らかに大きくわざとらしく、本心と違うのはわかるのに俺は放っておくことができない。

「言ってないだろ、そんなことっ」

 つられて大きくなった声に白岐がほんの少しだけ眉を顰めて、俺は慌てて口を噤む。白岐はそれに気づいたのか困ったように笑って見せた。端麗が煙管をふかす口元はにやけていて、阿門はいつもの鹿爪らしい顔でそっぽを向いて我関せずのポーズを取っている。まったく、いつの間にか俺がお前の係になったみたいだった。

「じゃあ作ってくれる?」

「材料がないって言ってんだよ」

「何が必要? 買ってくるよ」

「どこで。購買はもう閉まってるぞ」

「角のコンビニ。あそこ結構野菜とか置いてくれてるんだよね。肉なら遺跡で手に入れたのがあるし」

「……九ちゃん。お前、常習犯だな?」

「んー? ソンナコトナイヨ」

 ついつい阿門のほうを向くとぱっちりと目が合うのに、真面目な表情のまま「俺は何も聞かなかった」と告げられてしまえばどうしようもない。

「……わかったよ。作ってやる」

「やりぃ!」

 はしゃいだ声に俺も笑って、ああ、これでいいのだと思った。





 俺の部屋で米を炊いて、その間に肉の下処理をしながら野菜を切った。俺がスパイスの瓶を手に取るたびに、お前は「これは何?」と聞いてきた。ずっと俺の背後をうろうろしていて、暇なら炒めるのを代われと言ってもちっとも言うことを聞かなくて、邪魔だったのに嫌ではなかった。

 白米に合うカレーだったら市販のルウを使ってもよかったんだが、俺もむきになってスパイスと野菜で無水カレーを作って見せた。時間がなかったから簡単なものになってしまったのに、皿によそってやるとお前はわあと歓声を上げた。

「いい匂い。寮の他のやつらはお腹減っちゃうだろうなあ。実は皆守の部屋の前に群がってたりして」

「怖いこと言ってないでさっさと食えよ。このまま行ったら徹夜コースだぜ」

 深夜だと言うのに、もしくはだからか、お前の食いっぷりは見事だった。俺もつられてそれなりに食べて、空になった皿をシンクに浸ける。少し腹がこなれたところで食器洗いに立つと、背後から小さな声が聞こえた。

「あのさ、」

「何だ?」

「できるんじゃん」

「何が?」

 俺は油汚れに集中していてすっかり聞き流す体勢だった。お前の声が普段通りだったのもあったと思う。

「飯作ったり、食器洗ったりさ、できるやつが死んじゃ駄目だよ」

 俺はふと食器から顔を上げてお前を振り返った。お前は寮備え付けの学習机に頬杖をついて、景色でも眺めるかのように俺のことを見ていた。お前の目は静かだった。お前はそれ以上何も言うことなく、「水、もったいないよ」と言う。俺は蛇口を捻るとお前に向き直った。

「九ちゃん」

「ん?」

「悪かった」

「違うよ。知ってほしいだけ」

 ふうとため息を吐いたお前は目を伏せる。「全部、おまえの力なんだ。だるいって思いながら朝起きるのも、飯を食うのも、保健室で眠ることすら」

「もっと、おまえのいいところを知ってほしい」

 そうしてお前は笑う。

「カレー、美味しかった。本当に」

 俺も思考が麻痺していたんだろうな。お前が言ったのは俺が美味い料理を作れること、そのために試行錯誤できること、美味しいと感じる味覚があること、そんなことなはずなのに、俺の口を衝いて出たのは今日のカレーのことだった。

「本当はこんなもんじゃないんだ。肉だって本当はヨーグルトに漬けたかったし、今日はトマトが手に入らなかった」

 間抜けな一瞬ののち、お前は弾かれたように笑いだし、俺もどうにも可笑しくなって肺から息を吐き出すようにして笑った。

「わかったって! このカレー馬鹿!」

 本当に、どうして死ぬことなんて考えていたんだろうな。半日前まで死んだ後誰がスパイスを整理するのか心配していたはずなのに、今はずっと迷っていたブラウンカルダモンを買ってみようかと悩んでいる。馬鹿みたいな話だった。たぶん、それが生きると言うことだった。すべてを押し流す時間がここにあった。